きたもとの桜と伝説1~蒲ザクラを追いかけて

更新日:2021年03月31日

投稿者(市民リポーター)大嶋佐知さん

市民リポーターの大嶋佐知です。

北本市には桜を楽しめるスポットがたくさんありますよね~!

ちなみに…

「さくらと範頼伝説のまち感動桜国きたもと」の文字とピンクの桜のシンボルマーク

市の木は、桜

市のキャッチフレーズは感動桜国(おうこく)きたもと

市のシンボルマークは桜をイメージ

市ホームページの壁紙もさりげなく桜なんですよね

ピンクの桜と緑の葉っぱが描かれたマンホールの写真

またまたMHネタで恐縮ですが…マンホールだって!

北本市民にとって、市内に2つや3つはご自分だけの「これ!」というお花見スポットがあるのかなと思います。

広報きたもとでも毎年桜の季節には「桜特集」が組まれていますよね。
とても充実しているな~と毎回楽しみにしています。

その中でも最も有名な場所は…やっぱり石戸蒲ザクラではないでしょうか。

満開の桜の木とその前にある文字の彫られた記念碑の写真

実は、私が初めて「蒲ザクラ」の名称を聞いた時には「かば?…樺…(動物の)カバ?」と首をひねるような耳なじみのない桜の種類だと思ったものでした。

それもそのはず。
世界にただ一本しかない固有種、それがこの天然記念物石戸蒲ザクラだったわけですから。

『平安時代末、源範頼(みなもとののりより)は、兄である頼朝の命により大手将軍として軍勢を率いて、弟義経とともに平氏追討に功を上げました。
しかし、あらぬことから頼朝に疑いをかけられ建久4(1193)年、伊豆の修善寺で殺されてしまったとされています。
このとき範頼が実は生きのびて逃れてきたという伝説が残されています。
蒲ザクラはそのとき範頼が突いてきた杖が根付いたものであるとか、あるいは兜をかけた桜であるなどの言われが残されています。
今も残る桜の根元にある古びた石塔は範頼の墓標であるといいます』(広報きたもと平成25年4月号より)

源範頼は蒲御厨(かばのみくりや)(現静岡県浜松市東区)で育ったため蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれていました。
蒲ザクラは蒲冠者範頼の伝説とともに北本の人たちによって守られてきたのですね。

ふと…蒲ザクラのルーツとも言えるような「蒲」の地へ行ってみたくなりました。

今回は北本を離れてのリポートです!

木で囲まれて真ん中に広い参道があり奥に社殿のある神社の写真

蒲御厨一帯の守り神として信仰を集めてきた蒲神明宮(かばしんめいぐう)。

境内にこんな一画がありました。

案内看板が立っている横に竹で囲まれた柵の中に緑色のタグが付いた木が植えられてある写真

「カバザクラ」
ヤマザクラとエドヒガンザクラの自然交雑種
国指定天然記念物「石戸蒲ザクラ」の後継樹

という緑色のタグが付いています。

色あせた案内看板には「北本市のご好意により寄贈されて各町の公園などに植樹されている」とあるではないですか!

ちょうど境内にいらした「遠江蒲ザクラの会」の関係者にお話を伺うと、蒲地区では、平成18年の浜松市のわがまちのシンボル花事業「花のまち・浜松」で、石戸蒲ザクラ後継樹を蒲地区のシンボル花に定めている、とのことでした。

寺に植えられた石戸蒲ザクラと小宮公園に植えられてある石戸蒲ザクラの写真

  稲荷山龍泉寺の石戸蒲ザクラ                小宮公園の石戸蒲ザクラ

なんということでしょう!
北本市と浜松市はおよそ800年の時を経て蒲ザクラでつながっていたのですねー

平成23年には浜松市政100周年記念事業として「蒲ザクラ東海一の100本夢プロジェクト」が立ち上げられました。石戸蒲ザクラ後継樹からバイオテクノロジーでさらに100本の後継樹を増やし、蒲地区を蒲ザクラの名所にしよう!という夢のプロジェクトです。

たった一本しかなかった北本の石戸蒲ザクラが、多くの人によって守られ、継承され、人と人、まちとまちをつないで絆となって日本の各地に広がってゆく…本当に素敵だなと思います。

浜松を訪れた際にはぜひ蒲ザクラたちにも会いに行ってみてくださいね!

さて。
蒲神明宮の境内でもうひとつ興味深い一画を見つけましたよ。

赤の案内看板と策で囲まれた葉っぱの生い茂る木の写真

案内には『範頼公は、平家追討の総大将として上洛の途上、三重県鈴鹿市の石薬師に立ち寄って戦勝祈願をした。その時、蒲桜でこしらえた鞭を逆さに立てて、「もしも戦に勝ったなら、きっと生きよ」と言って大地に突き刺した。源氏の大勝利にこの蒲桜が芽を吹き、今に至ったと伝えられる。石薬師の蒲桜である』と書かれています。
石薬師の蒲桜が里帰りして植樹されたものだったようです。

ということは…。
石薬師にも「蒲桜」と呼ばれる桜があるということですよね?

これはもう行ってみるしかない!
静岡県浜松市から三重県鈴鹿市石薬師を目指すことに…

広重の東海道五十三次で有名な石薬師寺に看板を発見。

石薬師寺の由来の看板写真

道路の傍にある矢印の書かれた白い看板の写真

案内看板に従って進んでいくと…

母屋の近くにある白い看板と木製の茶色の看板の写真

じゃん!

古い家の前にある枝を広げる大きな桜の木と石碑の写真

空に向かって枝を広げる大きな桜が目に飛び込んできました。

石薬師の蒲ザクラの説明の看板写真

桜の季節でなかったのが残念…花が咲いたところはこんな感じです。
(鈴鹿市観光協会様より画像をお借りしました)

古い家の前にある5分咲きほどの桜の木と石碑の写真

いかがでしょう?

石戸蒲ザクラと石薬師の蒲桜の白い桜の写真

北本市の石戸蒲ザクラ             鈴鹿市石薬師の蒲桜(同上ホームページより)

石薬師の蒲桜はヤマザクラの一変種です。
もしかすると、石戸蒲ザクラとは親戚なのかもしれませんね。

ちなみに石薬師の蒲桜は「がまざくら」と呼ばれています。
蒲(かば)は古語、蒲(がま)は現代語。

蒲ザクラを追いかけて距離だけでなく800年の歴史もまた旅した今回のリポートでした!