きたもとの桜と伝説3~板石塔婆群と蒲ザクラ

更新日:2021年03月31日

投稿者(市民リポーター)大嶋佐知さん

市民リポーターの大嶋佐知です。

こんな写真を見たことはありますか?

桜の木の根元に石が積み重ねて置いてある白黒の写真

大正期の石戸蒲ザクラとその根元に林立する板石塔婆群です。

『この桜は、関東地方でもっとも古い桜の一つで、「日本五大桜」の一つに数えられ、植物学上からも貴重な桜とされていました。大正11年10月12日には、他の4本の桜とともに国の天然記念物に指定されました。かつては4本の大きな幹に分かれ、根元まわりは、11メートルもありました。幹の間には、今でも770年も前にたてられた板石塔婆をだきかかえるように取り込んでいます』(「北本のむかしばなし」より)

ん?あれ?…石戸蒲ザクラといえば…

周りに黒の柵とブロックがある太い幹の桜の木の写真

大正時代の蒲ザクラの写真と比べてみるとずいぶん様変わりしていますよねー

信じられないことですが、今から約50年ほど前の蒲ザクラは「枯死寸前!」と新聞報道されるほどの危機的状況、大ピンチに陥っていたそうです。
何としても蒲ザクラを守るために大規模な樹勢回復プロジェクトが始まりました。

蒲ザクラ最大のピンチと奇跡の復活物語については、広報きたもと平成29年3月号(PDFファイル:2.6MB)に特集が組まれています。

渡辺崋山が書いた石戸蒲ザクラの挿絵

もともと江戸時代の頃からすでに江戸市中に知れ渡っていた蒲ザクラ。

江戸時代の戯作者滝沢馬琴の『玄同放言』(1820年)には、渡辺崋山が描いた石戸蒲ザクラの挿絵が添えられています。

石戸蒲ザクラ表紙に描かれた日本花図絵

明治-大正期の日本画家尾形月耕も『日本花図絵』で石戸蒲ザクラを描いています。

大正11年10月12日、石戸蒲ザクラは国の天然記念物に指定されました。

古い写真や絵画に共通するのは蒲ザクラの根元に林立する板石塔婆群です。

長方形の石に文字が彫られている万石塔婆群の写真

(注意:2018年2月現在、貞永二年銘板石塔婆は全国第4位に古いものとされています)

蒲ザクラの根元にあった板石塔婆群はどこに行ったかというと…。

白い壁とグレーの扉がある建物の写真

東光寺境内にある板石塔婆収蔵庫に保管されています。

収蔵庫を見学することも可能です。
見学の際は北本市文化財保護課へ事前連絡が必要です。

私も文化財保護課へ連絡してみたところ、職員の方が内部を詳しく案内してくれました♪

収蔵庫の扉を開けるとズラリと陳列された板石塔婆たち。

横に並べて飾られたいくつかの板石塔婆の写真

画像中央は、貞永二年銘板石塔婆(1233年)

東光寺板石塔婆群の中で最大・最古のものです。

石の上に立てられた大きさの違うグレーの板石塔婆の写真

表面に文字が彫られている石の写真

よ~く目を凝らすと銘文の形跡が…

白い壁に説明の紙が張ってあり大きいのと小さい板石塔婆が置かれている写真

『昭和48年までは、蒲ザクラの根の周りに板石塔婆群が林立していました。巨桜と古石塔の醸し出す独特の景観は、範頼の伝説と絡めて江戸時代から文人の注目を集めてきたのです。

この板石塔婆のうち、もっとも規模の大きな貞永二年(1233)銘板石塔婆は、かつては日本最古のものとされ、頭部が水平であること、円や半円をあしらった特異なモチーフにより、板石塔婆の起源をさぐる好資料として全国の歴史研究者から関心がもたれてきました。

現在では熊谷市(旧江南町)において嘉禄三年(1227)銘をはじめとする第一位から第三位までの板石塔婆が発見されたため、全国で四番目の古さと順位を下げましたが、他にも寛元四年(1246)、建長三年(1251)、文応元年(1260)という初期資料が存在し、蒲ザクラの板石塔婆群が全国に誇るものであることに変わりないのです』(北本市教育委員会生涯学習課「石戸蒲ザクラの今昔」より)

ところでこれらの板石塔婆群を思いっきり堪能できる機会が年に2日間あるんですよ!

満開のピンクの花が咲く桜の木の写真

北本さくらまつり。

毎年4月上旬に開催される北本市の春の一大イベントの2日間は、東光寺の板石塔婆群の収蔵庫の扉が開きます!

2018年は、4月7日(土曜日)・8日(日曜日)午前9時~午後4時、どなたでも自由に収蔵庫内へ入ることができます。

ずらりと並んだ板石塔婆群を目の当たりにすると、何百年も前の時代に生きてきた人たちの信仰や思いを、板石が証人となって現代へ受け継いでいるような気がしてきますよ~