【2018年12月~2019年4月】きたもとは遺跡のまち~雑木林遺跡

更新日:2021年03月31日

きたもとは遺跡のまち~雑木林遺跡

投稿者(市民リポーター)大嶋佐知さん

市民リポーターの大嶋佐知です。

‘知っている人は知っている’という北本情報なのですが…
北本市内にはびっくりするほどたくさんの「埋蔵文化財(遺跡)」があるんですよねー!

有名なところでは、世紀の大発見との呼び声も高い「デーノタメ遺跡」。
現在でも土塁や出丸のなごりが確認できる「上手(うわで)遺跡」。
昭和60年代の発掘調査で明らかとなった大規模な堀跡の「堀ノ内館跡」。

…などなど。
実に100か所ほどの埋蔵文化財包蔵地(遺跡)があるそうです。

しかも遺跡は特別なエリアにあるのではなく、ここ!…私たちの住居の敷地も遺跡の一部だったりするのです。
なので、北本市では開発などに伴って発掘調査が行われることがけっこうあるようですよ。
(注意)詳しくは右記リンクをご覧ください北本市の埋蔵文化財に関する手続き

さて、ところで。

2018年12月。
ちょっと注目される発掘調査が、北本市深井4丁目のいわゆる「雑木林遺跡」で開始されました。

雑木林遺跡発掘調査の航空写真

画像提供:文化財保護課

国道17号わきの広大な敷地で大型店舗建設に伴う緊急発掘調査が行われるとの情報を聞きつけ、私もある期待を持って調査の行方を見守ってきました。

竹の根がびっしりと絡んでいる土地を掘り崩している写真

12月17日撮影

掘り崩された土は、竹の根がびっしりとからみついていてゴワゴワしています。

四角く掘られた大きな穴と、その横にブルーシートがかけられている写真

14日撮影

大きな穴のような遺構が!
…これ、もしかして!?

…と、なぜ私が鼻息をあらくしているかというと。

謎その1~まいまいず井戸

調査区のすぐ南に位置する「寿命院」にはこのような御詠歌(足立坂東三十三箇所観音霊場)があります。
~くるからは長き寿命を酌み添えん深井の水のあらん限りは~

調査地の雑木林内には大きく窪んだ場所があると以前から知られていました。
とはいえ窪地の用途や由来は、長い間、謎とされてきました。

有力な見解によると、寿命院の御詠歌にもある‘深井’、そして「深井」の地名にかかわるような大きな「まいまいず井戸」的なものではないかといわれています。

「まいまいず井戸」はらせん状に降りていく井戸で、形がカタツムリの殻に似ていることからついた呼び名です。
そんな珍しい井戸が本当にあったのか、その謎の行方が今回の発掘調査で明らかになりました!!

じゃん!

まいまいず井戸のような大きな穴

画像提供:文化財保護課

残念ながら「まいまいず井戸」ではありませんでした。

井戸でなければなんなのか!?…さらに謎が深まってしまいました。
土を取る目的で掘った穴、ということも考えられるそうです。歴史のもやっとした不思議な感覚です…

とはいえ「まいまいず井戸ではない」ということが分かったことだけでも大きな収穫。
気を取りなおして次へいきますよー!

謎その2~対馬屋敷

『新編武蔵風土記稿』の上深井村・下深井村の小名「堀之内」についてこんな記述があります。

「小名 堀之内 東の方を云、古へ深井対馬守が居住せし所なり、一に対馬屋敷といふ」
「上州白井の城主長尾左衛門尉景春の男小四郎景忠の子に六郎次郎景孝と云るものあり、天正年中當村にて出生し在名を以て深井と称せり、其子を対馬守景吉と云…」
…つまり、深井のあたりにあったと思われる「堀之内」は、鴻巣七騎の一人である深井対馬守景吉の居館跡である、ということです。

現在、この『新編武蔵風土記稿』にいう「堀之内」という地名はなく、明確な伝承も残っていないそうです。
ただ「堀之内」という地名から、対馬屋敷は堀で囲まれていたのでは?とも考えられます。

この雑木林遺跡のどこかに「堀跡」が見つかれば…この場所が対馬屋敷跡である可能性が高まってきます!

溝跡を上空から移している写真

堀跡、というか溝跡がありました

ど、どうなんでしょう。

素人目にはちょっと細めの排水路のようにも見えます。

溝は二重に寿命院を取り囲むように掘られているようです。

今後の研究の進展を待ちたい…とさせていただきます。

謎その3~埋蔵物

‘きたもとは遺跡のまち’と実感できるような遺物がいろいろとでてきましたよ!

掘られた大きな穴の中で、作業員が、シャベルを使い土のう袋に詰めている写真

発掘調査には欠かせない、ベテランの臨時職員さんたち。

シャベルで丁寧に土をかき出し、調査のために土のう袋に詰めていく作業です。

ところどころにある丸い穴と、その横に写るブルーシートの写真

古墳時代後期後半(約1,300年前)の竪穴住居跡が3軒見つかりました。

発掘担当者によれば、これらの竪穴住居跡は大宮台地周辺ではあまり類例のない時期のものだそうです。
土師器(はじき)と呼ばれる素焼きの土器や、臼玉と呼ばれる滑石製の装飾具が出土しています。

土器や装飾具が地面に置かれてある写真画像提供:文化財保護課

中世(約500年前)の遺物も発見されました。

五輪塔の一部(空風輪)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の塔身部分、板碑の一部の他に馬の歯が出土していて、ここでなんらかのまじない行為があったのではないか(発掘担当者談)とのことでした。

中世の遺物の写真画像提供:文化財保護課

今回の発掘調査は分かった部分もあれば、さらに謎が深まった部分もあるという結果となりました。

そして…北本は掘れば何かが出てくる!というのが実感です(笑)

真冬の発掘調査、職員の皆さんお疲れさまでした。

検出された堀跡が北本の歴史をひもとく一助となることを願っています。