迫田孝也さんが北本の範頼ゆかりの地を巡る【フォトリポート】
令和5年2月18日、「石戸蒲ザクラ国指定100年記念講演会」のゲストとして、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源範頼役を演じた、俳優の迫田孝也さんが北本市を訪れました!
その様子を写真リポートでお届けします。
到着・インタビュー写真の撮影
北本市文化センターに到着した迫田さん。
早速インタビュー写真の撮影を行います。
北本トマトイメージキャラクター「とまちゃん」との2ショット
東光寺へ
インタビュー写真の撮影を終え、石戸宿にある東光寺境内へと向かいます。
石戸宿3丁目の東光寺境内に所在する「石戸蒲ザクラ」は、樹齢約800年とされる銘木です。
蒲ザクラの名前は、蒲冠者(かばのかじゃ)、源範頼(みなもとののりより)に由来しています。
範頼は、史実では源頼朝によって伊豆の修善寺に流され、そこで亡くなったとされていますが、蒲ザクラには、追っ手をのがれた範頼が東光寺までたどり着き、そのとき突いてきた杖が根付いて蒲ザクラに成長した、という伝説があります。
まさに800年の時を越えた、範頼と蒲ザクラの再会です。
北側に伸びる若い幹(孫生え)に手をあて、念を送る迫田さん。
まだ2月とあって桜は咲いていませんが、苔むした太い幹には貫禄があります。
蒲ザクラと同じく東光寺の境内にある板石塔婆(板碑)の収蔵庫へ。
板碑は鎌倉~戦国時代に流行した石製の供養塔婆(故人の冥福を祈るためのもの)で、この板碑は全て蒲ザクラの根元に立てかけられていたものです。
現在は蒲ザクラと板碑、両方の保存のため収蔵庫へ保管されています。
(管理のため通常は鍵がかかっています。見学には事前申請が必要です)
板碑(貞永2年(1233年)鎌倉時代中期)に刻まれた梵字を見つめる迫田さん
収蔵庫には蒲ザクラや板碑に関する資料も展示されています。
阿弥陀堂へ
続いて、北本のもう一つの範頼伝説の地、高尾にある阿弥陀堂へ向かいます。
この場所には範頼の妻であった亀御前の供養塔が残されています。
高尾に伝わる伝説では、亀御前が夫(範頼)が伊豆の修善寺で亡くなったことを知り、悲しみのあまり荒川へ身を投げたため、その死を惜しんだ村人がこの地に供養塔を立てた、とされています。※かつては巨大な板碑でしたが、江戸時代に常勝寺(鴻巣市)に奉納され、現在の供養塔に建て替えられています。
鐘つき堂から外を眺める迫田さん
想像以上の音量にびっくり。
北本の範頼伝説については、こちらの記事も是非ご覧ください。
和楽web連載記事「石戸蒲ザクラ国指定100周年 きたもと桜国ものがたり」
昼食
昼食も範頼にちなみ、市内の蕎麦店、あさひ庵の「範頼そば」をいただきました。
蒲ザクラ国指定100年記念講演会・トークショー
午後は講演会への出演のため、文化センターへ。
迫田さんの希望で、トークショーまでの間は舞台袖で講演をお聞きいただきました。
講演会開始前の会場の様子
公益財団法人日本花の会特任研究員の和田博幸さんによる基調講演
市職員による講演
迫田さんが登壇し、トークショーが始まると、巧みなトークで会場は大盛り上がり!
北本とのご縁のお話から大河ドラマ撮影中のお話まで盛りだくさんの内容でした。
内容の一部は広報きたもと令和5年4月号のインタビュー記事に掲載していますので、ぜひご覧ください。
全国各地から集まった講演会参加者に驚く迫田さん
トークショー終了後、北本市観光大使のシンガーソングライター美根ゆりかさんから迫田さんへ花束が贈られました。
拍手に包まれての退場。「今度はぜひ満開の蒲ザクラを見に伺いたい」とのこと。
石戸蒲ザクラは例年4月上旬に見頃を迎えます。
皆さんもぜひ、さくらを楽しみつつ、北本の範頼にまつわる地をめぐってみるのはいかがでしょうか。
更新日:2023年06月09日