【9月10日】きたもとの桜と伝説4~蒲ザクラ、樹勢回復へ向けて

更新日:2021年03月31日

投稿者(市民リポーター)大嶋佐知さん

市民リポーターの大嶋佐知です。

北本市の地図

「中仙道、桶川駅の西北より、西に入りて、下石戸に至り、又屋津に至り、左へ諏訪市場に至り、堀の内に至る」

これは何の道筋かと言えば、文政2年(1819年)渡辺崋山が滝沢馬琴の依頼で東光寺を訪れたときのルートです。((注意)現代の地図に合わせているので当時のものとは微妙にズレておりますが…)

蒲ザクラのモノクロの挿絵

崋山が描いた蒲ザクラと板石塔婆群は、馬琴著『玄同放言』(1820年)の挿絵となっています。

「花はひとへにしてしろしといふ」
と左注にありますが、崋山の訪問は夏ごろで花の時期ではなかったようです。
葉目と花が同時に展開する描写となっているので、ヤマザクラの一種と思われていたみたいですね。

とにかく当時の江戸では『南総里見八犬伝』の作者で超売れっ子の滝沢馬琴が、わざわざ渡辺崋山に依頼してまで詳細を知りたがったほど蒲ザクラのうわさが江戸市中に知れ渡っていたことにおどろき!

大正11年(1922年)に国の天然記念物に指定された5つの桜(福島県の「三春滝桜」、山梨県の「山高神代桜」、静岡県の「狩宿の下馬桜」、岐阜県の「根尾谷淡墨桜」、埼玉県北本市の「石戸蒲ザクラ」)の中では最も江戸に近く、中山道からもさほど外れていないとなれば、当時も相当の人出があったのかなと想像します。

蒲ザクラ満開と天然記念物石戸蒲櫻の石の写真

桶川市川田谷からも「遠くに白い小山のように見えた」そうなので相当な巨木だと言えるわけですが、それに加えて、植物学上の和名が「カバザクラ」という独立した種としての桜である点が興味深いです。

カバザクラは東光寺のこの一本しかない!
これはとても貴重なことだと思います。

ところが大正11年の天然記念物指定から半世紀も経たないうちに、「枯死寸前!」と新聞報道されることに!!

大正期の蒲ザクラのモノクロ写真

大正期の蒲ザクラはこんなにも堂々としていたのに…

蒲ザクラの根本が折れてしまったモノクロ写真

昭和41年の台風で、4本あった支幹の2本が根本から折れてこんな姿に!

この頃の蒲ザクラは花もつけず、支幹にはほとんど枝も認められず、ただただ枯れるのを待つだけの有り様だったそうです。

そこで始まった蒲ザクラの樹勢回復の取組み。

昭和48年には、蒲ザクラの根元に林立していた板石塔婆を収蔵庫へ移設。
この4年後の昭和52年には「実に10年ぶりの開花」となったそうです。

昭和56年には、1.石垣の撤去、2.保護区域の拡大、3.石柱の移動、4.竹垣の設置などの環境整備。
この頃からしだいに花つきを増すようになったようですが、腐朽の進行は続いて…。

そこで樹木医の診断の下、腐食部を削ってそこを閉鎖する処置が6回行われました。
が、削った部分の充填物の隙間から侵入した雨水が患部に溜まって腐食の原因になることも判明。

樹木医もお手上げ状態の蒲ザクラに、関係者は樹勢回復のための手がかりを求めてさまざまな方法を調べてまわったそうです。

そんな中「フクラ緑化システム」という方法にたどりつきました。
「フクラシステム」はステッキ状のノズルの先から液体肥料を土中に噴射し、土の団粒化、根の雑菌を洗う、養分を与える、本体を痛めないで土壌改良するといった方法で樹木の再生を図るものです。

根の活性化に特化したこの「フクラシステム」の採用で、当時の関係者も「劇的に回復した!」と驚くような成果が!

「高所作業車に乗って蒲ザクラを上から見ると、枝の上半分はほとんど腐食した状態でした。ただ、腐食した部分を包み込むようにモリモリと新しい表皮が覆い込み、新しい枝が元気に伸びる様子が力強く感じられました」と関係者。

「フクラシステム」での液体肥料の注入は年3回。
樹勢の回復が進み始めてからは回数を減らし、しばらく休止していました。

その「フクラシステム」が今年、約10年ぶりに再開されることとなりました。
理由は花の開花に‘タイムラグ’が出てきたからだそうです。

実は平成29年度の私のリポート「きたもとの春」にもその片鱗をうかがわせる記載がありました!

(気がつかなかった~)

蒲ザクラのつぼみのアップ写真

昨年の蒲ザクラの開花宣言が出された4月3日。

ひこばえ(樹木の切株や根元から生えてくる若木)から幹になった枝の部分にだけ花が見られましたが、蒲ザクラ全体はまだ固いつぼみのままでした。

なんでここだけ咲いているのかな?とは思ったものの深く考えず…

実は、若木と老木の開花の差は、樹勢の衰えを示すものだったようです。
蒲ザクラを細やかに観察してくださる方たちがいればこそこうした変化に気がつくことができました。

今年は液体肥料ではなく水で試みるそうです。
今回の処置で蒲ザクラがまた元気になるといいのですが。

また調査したところ、蒲ザクラの根があまり広がっていないということが分かったそうです。
あれほどの巨木ですからさぞかし東光寺のお堂の下は根が密集しているのか・・・と 思いきや、意外です。
やっぱり北本を象徴する桜には、北本の大地にしっかり根を張って、もっともっと枝を伸ばしておおらかに花をつけてほしいものです。

再生は難しいと言われた蒲ザクラ。
まだまだ再生途中なのですね。

これまで北本を見守ってきてくれた年月と同じようにこれからも長く満開の花を咲かせられますように。

東光寺の横にある蒲ザクラが満開の写真